白河の関越え!甲子園の高校野球でそう言われる意味やその場所は?

甲子園球場 スポーツ
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夏の甲子園、今年の第104回全国高等学校野球選手権大会もいよいよ8月21日に決勝を迎えます。

今年の決勝戦は、宮城県代表の仙台育英高校と山口県代表の下関国際高校の対戦です。どちらの高校が勝っても、春夏を通じて甲子園では初優勝となります。

甲子園の高校野球で東北勢が勝ち進んでいくと、「白河の関越え」とか「白河越え」との表現がよく使われるようになります。

今回は、その「白河の関越え」と表現されるようになった理由や意味、白河の関の場所、過去の東北勢の甲子園の決勝戦での戦績などについて紐解いて見たいと思います。

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甲子園で「白河の関越え」と表現する意味

甲子園の高校野球で東北勢が勝ち進むにつれて、「今年は優勝旗が白河の関を越えるのか?」なんて言う表現が使われることがよくあります。

今年の夏の甲子園でも、宮城県代表の仙台育英高校が決勝戦に駒を進めると「今年こそは白河の関を越えて優勝旗を東北に」と言う表現が紙面に踊っています。

では、どうしてこのように甲子園の高校野球では「白河の関越え」と言った表現が使われるようになったのでしょうか?

「白河の関」は、鼠ヶ関(ねずがせき)、勿来関(なこそのせき)とともに奥州三関の一つに数えられる古代の関所の一つで、古くから東北の玄関口として認識されていたそうです。

当時なかなか通ることも厳しかったであろう東北の玄関口である「白河の関」、甲子園での優勝経験がない東北勢がその「白河の関」を甲子園の優勝旗を持って越えるなかなか厳しいという意味を表現したもののようです。

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白河の関の場所は

白河の関は、東北本線の白河駅から南方約12kmの山間にあり、栃木県境から約3km北の場所にあります。地図をみると東北の玄関口にふさわしい位置にありますね。

白河市のホームページによると、この「白河の関」は、奈良時代から平安時代の頃には、人や物資の往来を取り締まるという国境の関所として機能していたようです。

しかし、律令国家の衰退とともに、次第にその機能は失われ、「白河の関」は歌枕(和歌の名所)として都の文化人たち憧れの地へと変わっていったようです。

俳人の松尾芭蕉もこの白河の関で「白河の関にかかりて旅ごごろ定まりぬ」と、みちのく路の第一歩を踏み出したことについて詠んでいます。

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過去の甲子園の決勝戦での東北勢の戦績

さて、夏の甲子園で東北勢が決勝戦まで駒を進めたのは、今回の仙台育英高校を含めて10回あります。

その東北勢が深紅の大優勝旗かけて戦った決勝戦は、次のとおりです。

大会 開催年 優勝校 スコア 準優勝校
第1回 1915年 京都二中 2−1 秋田中
第51回 1969年 松山商 0−0
4−2
(延長18回引き分け再試合)
三沢
第53回 1971年 桐蔭学園 1−0 磐城
第71回 1989年 帝京 2−0 仙台育英
第85回 2003年 常総学院 4−2 東北
第93回 2011年 日大三 11−0 光星学院
第94回 2012年 大阪桐蔭 3−0 光星学院
第97回 2015年 東海大相模 10−6 仙台育英
第100回 2018年 大阪桐蔭 13−2 金足農
第104回 2022年      

記憶に新しいところでは、第100回大会の金足農、選手全員が地元出身の公立の農業高校ということで、農業高校に脚光が浴びる社会現象にもなっていました。

また、金足農のエースは、現在日本ハムファイターズに在籍する吉田輝星君でした。一回戦から一人で投げぬき、マウンド上で見せる刀を抜くような「侍ポーズ」でも話題になりました。

この時の、大阪桐蔭の主将は、現在中日ドラゴンズに在籍する根尾昴君で、この年大阪桐蔭は春夏連覇を果たしています。

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まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は、甲子園の高校野球での白河の関越えの意味について調べてみました。
実を言うと、2004年に北海道の駒澤大学附属苫小牧高等学校(駒大苫小牧)が優勝しているので、すでに白河の関を越えているのでは?と言う話も無きにしもあらずなのですが。。。

白河の関は東北の玄関口ということを考えれば、やはり東北勢の優勝ということなのでしょうね。

今年の決勝は、どちらに軍配があがるか分かりませんが、両チームとも悔いのない戦いをして欲しいですね。

今回も最後までお読みいただきありがとう御座いました。

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